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33162182 深田雄哉 レポート

 映画を見て思ったこと、戦争や抗争、経済的な理由で自分の国に住めなくなった子たちが、全然違う国出身のほかの子供たちとフランスで一緒のクラスメイトとして勉強し、わからないことだらけだと思うけど、一人ひとり頑張って、夢のためやいい仕事に就くため、母国じゃなく違う国で、違う国出身の子たちと勉強することはとても自分にはできないと思いました。

 そこのクラスには母国の文字を書けない子もいたり、発音の仕方が変な子もいたり、

 

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学籍番号33162182                     深田雄哉             

映画を見て気づいたこと感じたこと

主人公は、料理することが好きで腕もいい料理人だけど恋人を養っていくには料理人ではダメで仕方なく違う仕事をしたけどそこでたまたま有名な料理人と出会い自分のしたかった仕事をすることになり、最終的には三ツ星レストランの料理長にまでなり、作り話だとは言え自分のしたくないことをするよりも本当にしたいことをしたほうが1度しかない人生なのでいいなと改めて思いました。
今まで何回も三ツ星を取っている料理人だけどいざ審査するときは緊張をして審査員に出す料理の案がなかなかでず、何十時間も試作を重ね、失敗しライバルである料理人の偵察に行ったりと三ツ星は料理人にとって最高の名誉だと思いました。 最高の料理を作る料理人でもさらなる進化や新しい味を求められ調査員の来る日を恐れていて、今まで何年も三ツ星だったのにもし星が減ったら自分の名誉が傷つくというプレッシャーの中で最高の料理を作れる人が三ツ星にふさわしいのかなと思った。
何時間も努力し、いいアイデアをだし、食材同士のマッチ具合を何回も試し料理人は本当に大変だと思いました。イメージですが、有名な日本料理、そばや寿司などはあまり食材同士を合わせて作らないイメージなので、フランス料理はソースを作るのにもたくさんの食材や調味料を使って作り、スープもいろんな食材から作り、食に対するこだわりがすごいと思った。 デザイン化されて料理で絵をかいたようなものが多くて、ソースは線描きのように散らして、味はもちろん、色もきれいでこれが三ツ星競争の中で切磋琢磨して進化した創作フランス料理なのかなと感じました。
三ツ星を取ることは簡単ではなく、いろんな人の協力があって取れると思いました。
料理シーンだけでなく家族の大切さや家族と同じぐらい料理が好きということが映画を見てそう感じました。
それと同時に1日のほとんどをメニューの試作など料理のことばかりでプライベートな時間が取れず、映画内でも恋人とけんかや娘と言い争いになるシーンもあり、大変な職業だと思いました。

将来を不安視している人は、会社に居続けながらもキャリアの不安のために力が発揮できないなどの弊害が起きる恐れがあります。例えば、失敗を恐れて必要以上の仕事を受けたがらない、新しい意見を提案するよりも今ある仕事を着実にこなしたい、というように、会社や上司からマイナス評価を受けないようにするために、保守的なタイプの社員が増えることが予想されます。確かに、会社の業績が安定しているうえに雇用が守られていれば、「上司である自分が責任を取るから挑戦してみろ!」と部下に言えるかもしれませんが、業績が思わしくない企業で、なおかつリストラの可能性がある場合には、部下の失敗のために自分の評価が下がることを恐れる上司も出てくるでしょう。しかし、このような受け身な社員が多い会社では、イノベーションの機会もなく企業の成長にとって大きな妨げになります。社員個人にとっても、不安を抱えたままでは前向きに仕事を楽しむことが難しく、次第に精神的なストレスも大きくなると考えられます。そのため、これらの将来への漠然とした不安を取り除き、いききと仕事をするための対策を講じる必要があると思います。

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学籍番号33162182 商学部 経営学科 名前 深田雄哉
「ヒューマンリソース論」中間レポート
私が就職したいと考える企業は株式会社プレナスです。理由は高校生時代から現在までほっともっとでアルバイトしており、人間関係や食に対する姿勢がとても素晴らしく、この人たちとずっと働きたいと思ったからです。株式会社プレナスはほっともっとややよい軒などの飲食チェーンを経営しています。プレナスの経営理念は、私たちは、プレナスは食に関わる事業を営んでいます。食は、人びとの生活の原点であり、あらゆる活力の源となります。私たちは、食に関わる事業を通じて、お客様に喜んでいただくこと、お客様に満足していただくこと、お客様が健康であることを最も大切な目標と認識し、お客様の視点で考え、行動していきます。そして、すべての事業活動に関わるあらゆる人びとに笑顔と感動をお届けすることを事業の根幹におき、その実現に向けて、チャレンジし続けます。です。この経営理念からプレナスが、お客様を第一に考え、お客様の立場で行動し、お客様に喜んでいただき、満足を感じていただくことを第一としていることがわかります。そして事業にかかわる人も喜びを分かち合えるそういう人間関係を築きあげることを目標としていることがわかります。プレナスのビジネスの方針として、お客様の笑顔を創造しよう。地域の食文化を大切にしよう、環境に貢献する企業になろう、多くの人々においしい食を広げよう、人々を健やかにしよう、といま実践していること、これからより一層注力して取り組むべきことを要約した5つの方針があります。創業精神、経営理念をより具体化し、プレナスが目指すべき方向性を象徴しています。誰のために、何を、どのようにすべきか、自ら考え、行動するうえで、大切な基準となります。私は視野を広く持って物事を客観的に見ることができ、それがマーケティングの仕事に貢献出来ると考えています。高校時代はテニス部に所属しており、副キャプテンとしてチーム全体を見て、サポートする役目を担っていました。キャプテンが指針を決め、それを後ろからサポートするのが私の役目であり、部員一人ひとりを注意深く観察することで、視野を広げて考える力を養いました。部活を引退してからもプレナスの経営しているほっともっとでアルバイトしており、そこでお客様の意見や社員、パートの方々と働くことで見えてくる、こういうサービスがあったことでお年寄りの方がお店に来やすい環境ができる。こういう商品があれば若者に人気になるなど働いてこそわかる従業員目線で意見することができます。プレナスで働くときはマーケティング戦略部で働き、仕事を通じてさらに能力を高めたい思います。自身の成長と同時に企業への貢献度も高め、どんな時でも冷静に、客観的に物事を判断することで、優れた戦略を打ち立て企業に貢献したいです。お客様を第一として考えているプレナスですが事業にかかわっている人のことも大切にしていることがわかります。お金のためでなく、仲間とともに働くこと、お客様のために何かすることに大切にし、喜びや感動を分かち合うことで社会人モデルを前提としていることがわかりました。
参考文献 https://www.plenus.co.jp/company/concept.html 文字数1275

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学籍番号33162182 商学部 経営学科 名前 深田雄哉
「ヒューマンリソース論」中間レポート
私が就職したいと考える企業は株式会社プレナスです。理由は高校生時代から現在までほっともっとでアルバイトしており、人間関係や食に対する姿勢がとても素晴らしく、この人たちとずっと働きたいと思ったからです。株式会社プレナスはほっともっとややよい軒などの飲食チェーンを経営しています。プレナスの経営理念は、私たちは、プレナスは食に関わる事業を営んでいます。食は、人びとの生活の原点であり、あらゆる活力の源となります。私たちは、食に関わる事業を通じて、お客様に喜んでいただくこと、お客様に満足していただくこと、お客様が健康であることを最も大切な目標と認識し、お客様の視点で考え、行動していきます。そして、すべての事業活動に関わるあらゆる人びとに笑顔と感動をお届けすることを事業の根幹におき、その実現に向けて、チャレンジし続けます。です。この経営理念からプレナスが、お客様を第一に考え、お客様の立場で行動し、お客様に喜んでいただき、満足を感じていただくことを第一としていることがわかります。そして事業にかかわる人も喜びを分かち合えるそういう人間関係を築きあげることを目標としていることがわかります。プレナスのビジネスの方針として、お客様の笑顔を創造しよう。地域の食文化を大切にしよう、環境に貢献する企業になろう、多くの人々においしい食を広げよう、人々を健やかにしよう、といま実践していること、これからより一層注力して取り組むべきことを要約した5つの方針があります。創業精神、経営理念をより具体化し、プレナスが目指すべき方向性を象徴しています。誰のために、何を、どのようにすべきか、自ら考え、行動するうえで、大切な基準となります。私は視野を広く持って物事を客観的に見ることができ、それがマーケティングの仕事に貢献出来ると考えています。高校時代はテニス部に所属しており、副キャプテンとしてチーム全体を見て、サポートする役目を担っていました。キャプテンが指針を決め、それを後ろからサポートするのが私の役目であり、部員一人ひとりを注意深く観察することで、視野を広げて考える力を養いました。部活を引退してからもプレナスの経営しているほっともっとでアルバイトしており、そこでお客様の意見や社員、パートの方々と働くことで見えてくる、こういうサービスがあったことでお年寄りの方がお店に来やすい環境ができる。こういう商品があれば若者に人気になるなど働いてこそわかる従業員目線で意見することができます。プレナスで働くときはマーケティング戦略部で働き、仕事を通じてさらに能力を高めたい思います。自身の成長と同時に企業への貢献度も高め、どんな時でも冷静に、客観的に物事を判断することで、優れた戦略を打ち立て企業に貢献したいです。お客様を第一として考えているプレナスですが事業にかかわっている人のことも大切にしていることがわかります。お金のためでなく、仲間とともに働くこと、お客様のために何かすることに大切にし、喜びや感動を分かち合うことで社会人モデルを前提としていることがわかりました。文字数1275

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ベトナムの人生儀礼について、ベトナムの人生儀礼は日本とは異なったものがたくさんあります。
  まず、人生儀礼の一つの結婚について、ベトナムの結婚は、男性が20歳以上女性は18歳以上で日本より2歳違います。法律で決められているのは自発的結婚、一夫一妻、男女平等、家族内の女性の権利を保護する。子どもの権利を保護する法律があります。結婚の方法は、まず相手を決めます。相手を決める方法として、親同士が決めた相手と結婚する方法と恋愛結婚があります。次に結婚の申し込み方です。男性側が女性側の両親に結婚したい旨を伝えます。古いしきたりでは、この時にビンロウの実を持っていきます。現在は果物やケーキなどに変わっています。相手の母親が受け取ってくれたら結婚が成立します。次に結婚式に移ります。まずは、日程を決めます。旧暦1月1日のテトの前、大体12月から2月が結婚式のシーズンです。理由は正月前に結婚式を挙げて、新年を新しい家で迎えることがいいとされているからです。結婚式では未婚の男性が7,8名結納の品物をもって、新婦の家を訪れ、それらを新婦の両親に渡します。双方の親族が集まってそれぞれ祖先を祀っている祭壇の前で結婚の報告をするのが結婚式の流れです。次に披露宴ですが、全く知らない人の結婚式にも参加できるというベトナムならではの自由さがあります。日本ではまず、考えられないです。披露宴は基本的には前日に新婦宅で挙式にあたる行事を済ませていることが多いです。披露宴も自宅で行うケースもありますが、最近では街中のレストランで行うことが増えて来ています。開場時間を過ぎても、到着している参列者は少ないです。開始時間ギリギリでやっと揃ってきます。日本のような席順や乾杯の音頭もなく、到着した人から好きな場所に座り、飲み始めます。次にベトナムの葬儀について、ベトナムでは葬儀は自宅で執り行われますが、不慮の事故で亡くなった場合は家の中に魂が入れないという考えもあり、家の前で行われることもあります。地域にもよりますが、楽隊を読んで賑やかにするところがほとんどです。楽隊の演奏が三日三晩続き、その間、親族や友人はもちろん、通りすがりの人でさえも参列します。基本的には来るもの拒まずで、昼夜問わず食事も振舞います。3日間食事が途絶えないように、ケータリングを呼んだり、近所の人が総出で手伝います。特に南部では賑やかに送り出すことが好まれるため、一晩中カラオケをしたりおしゃべりをしたりして過ごします。ベトナムのお葬式において、あまり細かいマナーはありません。しかし、服装には気を使う必要があります。親族は白装束に白いハチマキをしますが、参列者は男女関係なく暗い色の服装が好まれます。男性の場合、黒やダークな色のスーツなど。暑い時期や地域によっては、スラックスにシャツだけでよい場合もあります。女性も暗い色のワンピースやシャツにパンツなど。ベトナムにも香典の文化はあります。家の前にテントを張った受付があり、そこで名前を言って香典を渡します。お金の他に、お花や線香、果物を渡す場合もあります。まず香典を渡して受付を済ませたら、家の中に入ります。香典を渡すと、受付の人が名前を読み上げることもあります。祭壇の方へ進むと、遺族から線香を1本渡されるので、線香を持ったまま遺影に向かって3礼します。そして線香を立ててから、棺桶の周りを1周します。その後、遺族が遺影の前に立ち、参列の報告をします。一般的には遺族、親族、近所の人、友人の順に行います。終わったら食事やお菓子が振る舞われますので、座って楽隊の演奏を聞いたり、故人を偲んでおしゃべりをします。特に席は決まっておらず、帰る時間も自由です。地域によっては、結婚式のように余興が行われたりします。日本の葬儀と最も異なるのが、埋葬方法です。都会のほうでは火葬も増えてきましたが、まだまだ多くが土葬文化です。近年では棺桶ごと埋葬するのが一般的です。自宅でのお通夜が終わると、霊柩車で埋葬に向かいます。霊柩車も日本とは異なり、派手なものが多いです。偽札をバラまきながらお祝いのようにして移動します。2〜3年後に掘り起こし、お骨を正式に埋葬する改葬と呼ばれるものもあります。お墓は家族一緒ではなく、個人個人のお墓に入ります。これで葬儀は終了です。伝承者ファクァフィ

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イギリス経験論について 学籍番号33162182 深田雄哉
イギリス経験論とは、17世紀よりイギリスで広まった、経験重視の哲学思潮のこと。デカルトなどの合理論で認められた生得観念に対する批判から始まった。合理論とは対照的に感覚を重視する。近代認識論への批判から経験論が始まりました。ロックの哲学は近代認識論、知識論への批判から始まりました。人間の知性には踏み越えることのできない限界がある。ロックは、私たちの知性が取り扱うのに適した対象と適さない対象があるというがそもそも知性の対象とはなにか、知性は観念のみを対象とする。この考え方でイギリス経験論は観念額であるともいえます。イギリス経験論を確立したのは、ロックです。ロックは、デカルトが神は生得観念であるとしたのに対して幼児や東洋人の例から神観念の生得性を否定したのです。彼は観念形成が感覚を比較吟味する悟性の働きに依存する事を強調して、人間をできるだけ理性的に捉えようとしたのです。イギリス経験論も新しい帰納法で法則的な認識を確立しようとしたのですが、ロックのすべての観念は経験から、生まれつきは白紙という立場は、経験にすべてを還元しようとする経験主義を発達させます。この立場がデカルト的な主観、客観認識図式の固定化を批判する立場を生むのです。ロックのすべての観念は経験からという言葉を考えると、知覚に基づく経験なしに事物の観念も生じないということになります。そこでバークリーは、存在することは知覚されてあることであると、唯心論の立場に達したのです。つまり意識の外部に客観的な事物がまずあって、それが知覚されるのではないというのです。逆に知覚の内容を反省する事によって、客観的に事物が存在すると考えているだけだということです。知覚の連鎖が世界を構成しているのだとすれば、その知覚を呼び起こす原因として客観的な事物が存在すると考えて説明するのは、一つの世界解釈に過ぎないということです。知覚や経験それ自体が存在だと直接的に受け止めてもいい筈だということなのです。でもどうして様々な種類の知覚像が現れ、それが様々に変化するのか、その原因となるものが必要です。バークリーにすれば、それが神だということになります。ロックの全ての観念は経験からに基づくと、あらゆる観念は経験に依存することになるので,客観的事物の法則性や存在は既成の経験から蓋然的に帰結されたものに過ぎません。ひょっとしたら経験の仕方が突然変化するかもしれないのです。このような徹底した懐疑論を唱えたのはヒュームです。ヒュームは、いかなる実体、実在性も前提することなく、経験による与件のみから精神や世界の認識について問い直そうとした。 ヒュームが疑い、批判したものとは、ひとが疑うことなく漠然と信じていると因果関係2つの同一性。ヒュームは因果関係を否定し、思考する存在者の同一性をも否認。デカルトの合理論、ロック以来の経験論のどちらをも批判することになった。精神、外的世界のどちらの実在性も否定しました。ヒュームの懐疑論は、科学的精神に通じています。  文字数1281