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イギリス経験論について 学籍番号33162182 深田雄哉
イギリス経験論とは、17世紀よりイギリスで広まった、経験重視の哲学思潮のこと。デカルトなどの合理論で認められた生得観念に対する批判から始まった。合理論とは対照的に感覚を重視する。近代認識論への批判から経験論が始まりました。ロックの哲学は近代認識論、知識論への批判から始まりました。人間の知性には踏み越えることのできない限界がある。ロックは、私たちの知性が取り扱うのに適した対象と適さない対象があるというがそもそも知性の対象とはなにか、知性は観念のみを対象とする。この考え方でイギリス経験論は観念額であるともいえます。イギリス経験論を確立したのは、ロックです。ロックは、デカルトが神は生得観念であるとしたのに対して幼児や東洋人の例から神観念の生得性を否定したのです。彼は観念形成が感覚を比較吟味する悟性の働きに依存する事を強調して、人間をできるだけ理性的に捉えようとしたのです。イギリス経験論も新しい帰納法で法則的な認識を確立しようとしたのですが、ロックのすべての観念は経験から、生まれつきは白紙という立場は、経験にすべてを還元しようとする経験主義を発達させます。この立場がデカルト的な主観、客観認識図式の固定化を批判する立場を生むのです。ロックのすべての観念は経験からという言葉を考えると、知覚に基づく経験なしに事物の観念も生じないということになります。そこでバークリーは、存在することは知覚されてあることであると、唯心論の立場に達したのです。つまり意識の外部に客観的な事物がまずあって、それが知覚されるのではないというのです。逆に知覚の内容を反省する事によって、客観的に事物が存在すると考えているだけだということです。知覚の連鎖が世界を構成しているのだとすれば、その知覚を呼び起こす原因として客観的な事物が存在すると考えて説明するのは、一つの世界解釈に過ぎないということです。知覚や経験それ自体が存在だと直接的に受け止めてもいい筈だということなのです。でもどうして様々な種類の知覚像が現れ、それが様々に変化するのか、その原因となるものが必要です。バークリーにすれば、それが神だということになります。ロックの全ての観念は経験からに基づくと、あらゆる観念は経験に依存することになるので,客観的事物の法則性や存在は既成の経験から蓋然的に帰結されたものに過ぎません。ひょっとしたら経験の仕方が突然変化するかもしれないのです。このような徹底した懐疑論を唱えたのはヒュームです。ヒュームは、いかなる実体、実在性も前提することなく、経験による与件のみから精神や世界の認識について問い直そうとした。 ヒュームが疑い、批判したものとは、ひとが疑うことなく漠然と信じていると因果関係2つの同一性。ヒュームは因果関係を否定し、思考する存在者の同一性をも否認。デカルトの合理論、ロック以来の経験論のどちらをも批判することになった。精神、外的世界のどちらの実在性も否定しました。ヒュームの懐疑論は、科学的精神に通じています。  文字数1281